2008年9月の日記へようこそ!

2008年9月30日 (火) 加世田暮らし2008#4 加世田5日目 井戸洗い
台風の影響で朝から大雨。今日も畑には行けない。

今日は頼んである井戸洗いの工事の日である。8時15分、工事の人がやってきた。まずはポンプで井戸の中の水を全部吸い上げる。水量が多いということで途中でもう一台ポンプを取に行った。

水と一緒に大量の砂が吸い上げられてくる。これがよごれの一つの理由らしい。その後綺麗に洗ってある砕石を井戸の底に敷き詰めて工事は終わる。時間はすでに夕方5時。思いの他時間の掛かる作業であった。

水が上がってくるのを待って、本体のポンプを始動するのだがなんと動かない。職人はポンプの交換が必要だと馬鹿なことを言い出す。昨日まで正常に動いていたのだから、動かない原因は井戸洗いにあることは明白なのに。いちいちドライバーを使って始動する方法などを説明してくれるが聞いていられない。何度かやっているうちに不具合はなくなり、ポンプは通常通り動き始めた。

入れた砕石から出るの汚れを流すため、朝まで水を出しっぱなしにしておくと良いといわれ、庭の蛇口からホースで道の側溝へ直接流しておく。

工事の間は家の中での作業を続ける。
古タンスの引き出しを解体し、タスンの枠は奥の納戸に移動し、棚として使用。
北側廊下の蛍光灯の照明器具を交換。
2008年9月29日 (月) 加世田暮らし2008#4 加世田4日目 
朝から雨。畑仕事は休み。台風15号が接近中。

家の中での作業で一日過ごす。
押入れの中に照明の電球を取り付ける。
古タンスの中身を整理。

昼食はレストラン伊太利屋へ。ランチのパスタセット970円。加世田では一応レベルに達している店である。
2008年9月28日 (日) 加世田暮らし2008#4 加世田3日
雨のため畑には行かず、家の周りの手入れ。

洗面台の蛇口水栓交換。
知り合いから植付け用のラッキョウを入手。
2008年9月27日 (土) 加世田暮らし2008#4 加世田2日
草刈り、草取り。
土起こし。

作物は
勝手に生えてたサツマイモが3茎。
スイカ2玉と、まだ花が咲いている。
オクラ、時期を逸して巨大化したものが多数。種取用。
紫蘇がこんもりと茂り、潅木のようになっている。

花はコスモス、ヒガンバナ、バナナ。
2008年9月26日 (金) 加世田暮らし2008#4 移動第2日 加世田初日
宮崎から加世田への道中、一等三角点を3箇所寄る予定だったが、そのうちに箇所には行くことができなかった。

まず鰐塚山。ここは山頂まで道路があり、車でいけるはずだったのだが、田野から県道343号を進むと、全面通行止めの看板。鰐塚山、北郷方面にはいけないとのこと。
後で調べて分かったのだが、鰐塚山の山頂に続くこの県道343号線は2005年の台風14号での斜面崩壊で道路が消滅した。今年の4月1日に漸く新しい鰐塚山トンネルが開通し、山頂まで行けるようになった。ところが先週の台風13号で路肩が欠壊し再び普通になった。
しかし実際は山の南側、県道33号線から林道経由で山頂に行けるルートがある。

鰐塚山を諦めた後、都城の郊外を通り、牛ノ峠をめざす。点の記でのアプローチに従い、峠の南側、国道222号から木内谷林道に入ったのだが、ここも途中で林道が土砂で埋まっていて断念。もっともすごい悪路でそこから先も進めたが疑問。
ここは九州百名山などにのっている正規の登山道で登るほうが懸命のようである。

川崎への帰途、この二つの一等三角点に再挑戦するつもりだ。

残る一点、鹿屋市内の基線北端だけを探訪し、亡失となっている基線南端の場所を経由して、桜島のフェリーに乗船。一路加世田に向かう。
途中、谷山でガソリン給油。日本で一番ガソリンが高いといわれる鹿児島でリッター159円で給油できた。これからもここを利用しよう。

16時30分、加世田に着く。
そのまま畑に行き、18時30分まで作業をする。全面、雑草に覆われていた。
2008年9月25日 (木) 加世田暮らし2008#4 移動第1日
ETC深夜割引の午前4時前、川崎IC入線はさっさと諦めた。
8時30分出発。
通勤割引を利用したく冨士で一旦降りたのだが、これは勘違い。沼津で降りなければならなかった。

吉田ICで降り、一等三角点の坂部村(高根山)に寄る。茶畑の奥のピークの祠の横に一等三角点と天測点が並んでいた。

次の目的地は磐田市内の一等三角点、上野巳新田。公園内の古墳の天辺に三角点はあった。

浜松ICから東名に戻り、伊勢湾岸道路経由で新名神に行く予定だったが、トラックの直後を走っていたため、伊勢湾岸への分岐を通り過ぎてしまう。仕方なく、名古屋から東名阪道に入りなおし、新名神道に入る。今年の初めに開通したばかりのこの道路は、きれいで交通量も少なく大変走りやすかった。これからは大いに利用しようと思う。

夕方の大阪の高速で渋滞に巻き込まれたが、堺の大浜公園一等三角点、蘇鉄山に寄ることができた。日本で一番低い一等三角点峰である。

19時10分、予定通りにフェリーは大阪南港を離れ、宮崎に向かった。マリンエクスプレスカードのバースデイ割引で、経費を節減する。
2008年9月23日 (火) 神宮球場へ日参
秋晴れに恵まれたので、早速神宮に行く。
昨日、雨で順延になったので立法の三回戦を観る機会に恵まれた。

1時20分ごろ球場に着くと、第一試合の早東戦の九回の表であった。今日も早稲田が二桁得点で大勝していた。

1時55分、立教法政戦、試合開始。3回表、五十嵐の三塁強襲の二塁打で立教が先制するも、4回裏立教のエースとなった仁平が集中だを浴び、この回なんと7安打を打たれ、4点を献上し逆転される。

このあと戸村、増田、岡村の継投で追加点を与えずに抑えきったので、まことに残念な4回裏であった。仁平は一回戦のときのようにスローカーブでストライクを取る余裕がなく、投球が単調になったところを強打され二塁打を4本も喫してしまった。

次週は早稲田戦、苦しい立ち上がりが続く。それにしても春、東大からしか勝ち点を上げられなかった法政がもう慶応、立教を連覇して勝ち点2、一躍優勝候補に躍り出てきた。立教もこれくらい化ける可能性はあると思うのだが。
2008年9月21日 (日)−22日 (月) 苗場山登山、天気に恵まれず。
21日、神宮の第一試合は5回表から小雨、スコアを付けるのに一苦労する。試合は3−0で法政の勝ち。これで一勝一敗となり立法三回戦にもつれ込んだ。

それにしても台風13号が過ぎた後も天気がスカット晴れない。
それでも22日の新潟上越は晴れ時々曇りの予想だったので、湊君念願の苗場山登山に三浦朝子さんとの3人ででかけてきた。

雨の中の関越道を走り、夜中も雨の音を聞きながら猿ヶ京にある湊君の別荘で眠りに着く。

22日、朝5時半起床。雨は止んでいるものの厚い雲が垂れ込めている。お昼に向けての天気回復に期待をかけて、登山口を後にしたものの、天気は逆に下り坂。途中からは霧雨が強くなりレインウェアを着るハメに。

頂上では雨はなかったものの、ガスでお目当ての高層湿原もチラット遠望できただけ。自分の周囲30メートルほどの視界内の景色を楽しむ。草紅葉は綺麗に黄色に染まっていたのだが、太陽だけが見えなかった。

下山途中の神楽ヶ峰でようやく太陽が出て、頭上に青空が広がる。周囲の景色も水墨画から油絵の世界へと一変する。

そのあと再びキリの世界へと下山していった。

まあ苗場山の一等三角点の写真を撮り直してくるという目的は、天気に関係なく達成できたの良しとしよう。

多少心配なメンバーではあったが、歩きにくい登山路を怪我もせず往復できてなによりでした。

次回はどちらに登りましょうか。
2008年9月18日 (木) 妻の病状、その後の経過−転院と新しい治療方針
8月の末に乳癌の再再発が確認されました。
主治医の説明の中の「6月には癌があったようだ」の言葉に、妻は不信感を持ち、今後の治療方針についてのセカンドオピニオンを希望しました。
その資料を受け取りに行ったとき、すでにいままでのT大学付属M病院の先生は、セカンドオピニオンを希望した聖マリアンナ医科大学病院への紹介状を渡してくれて、すでに転院を進めているといった感じでした。

結局、セカンドオピニオンは実施せずに、9月8日、直接聖マリアンナ医科大学病院に転院ということで診察を受けました。

診断結果、副作用としての食欲増進効果も見込めるホルモン剤プロゲストンを新たに処方。治療方針は11日のコンファレンスで決定するとのこと。

12日、抗がん剤ナベルビンの使用を決める。残念ながら妻の病気は完治はまず考えられず、これからどう一生癌と付き合っていくかというレベルと知らされた。
同時に精神的にもかなり参っているようなので次回から神経精神科の診察も受けることにした。

ナベルビンの効能・効果にあるように、非小細胞肺癌、手術不能又は再発乳癌のための薬である。このことからも、すぐに何かがあるということはないが、決して楽観できる状態ではないということが分かった。

それでも新しい病院での丁寧な説明を受け、妻は先生との信頼感が持てることで少しは安心した様子だった。

妻の今年の残りの時間は抗がん剤治療のための通院で過ぎていきそうです。
2008年9月17日 (水) 4回目の丹沢山登山
山行記録

この後の苗場山登山が長丁場なので足慣らしのため一山登っておくことにする。
候補は、神奈川県の一等三角点で写真が残っていない丹沢山か箱根の神山。そして関東百名山で神奈川県で唯一つ未踏の大野山。
結局、後者二つは別の機会に簡単にいけるので、丹沢山にした。

病院に妻を送っていった足で登山口に直行したが、すでに10時過ぎ。時間の余裕はない。

十数年前に登ったときと同じルートを選ぶものの、鈍っていた足と比較的高い気温に悩まされ、疲労困憊の登山となった。

本当は毎日のように山登りに行きたいのだが、妻の体調がそれを許してくれない。かまにはこうして出かけないと、今度は私のストレスが溜まってしまう。
2008年9月10日 (水) 気になった記事から
記事は以下の通り。
「全国の山で今年7、8月に起きた遭難事故は453件で、前年同期に比べ43件増加したことが9日、警察庁のまとめで分かった。遭難者は前年同期比79人増の525人、死者・行方不明者も31人増の79人で、いずれも統計が残る昭和43年以降最悪となった。40歳以上の「中高年」の遭難者は89人増の416人、死者・行方不明者は36人増の76人だった。」

山岳関係者はこの事態を憂慮して、あれこれ考えていると思うが、問題なのは遭難予備軍の対象者がこのことにまったく無関心としか思えないことである。
「登山届」を提出せずに平然と登山口を後にする人々。この意識改革がまずは必要である。
いまや猫も杓子も、ペットまで山に登る時代になっているのだ。
2008年9月4(木)-5日 (金) 湯河原 一泊旅行
妻の乳癌が再々発している。

来週以後の治療が始まる前に、妻が急に旅行に行きたいというので、前日に予約して湯河原に行ってきた。

町立湯河原美術館の近く、旅館天作に泊まった。

隣でビルの解体工事をしているので何かと宿の人に聞いたら、天野屋旅館の解体作業だという。天野屋は伊藤博文ゆ夏目漱石らが逗留したという由緒ある旅館で、建物は文化財指定を受けたほどのものだったとのこと。どうやらブローカーまがいが入り込んで、転売され、建物は解体、会員制のリゾートクラブに売却されたらしい。<ニュースソース>
文化財保存に対しての無策ぶりを見る思いだった。

町立湯河原美術館に行った以外は、ずっと温泉に浸かっていました。

今回はカメラを忘れたため写真はありません。

5日、12時前に帰宅。14時半に妻はセカンドオピニオンのための資料を受け取りに病院にいった。