2009年8月の日記へようこそ!

2009年8月30日 (日) 久々、投票日に投票
ここ15年ほどは不在者投票か期日前投票しかしていない。棄権は一度もない。

今年の8月は妻も具合もあり、遠出の予定が全くなかったので事前投票には行かなかった。

自宅静養中の妻は、通院の他は全くといって外出してない。投票所の小学校へは子供たちの母校であるが、久々に行った。中庭に見慣れない新しい教室が造られていた。どうやら最近立てられた40階もある高層マンションによる児童増加のためらしい。

選挙は新聞などの世論調査では民主の勝利でどうやら政権交代が実現するらしい。
日本の政治、役所は政権交代の経験が皆無に近いので多くの混乱が生じるのではと心配である。だが、政権交代が可能な国家を築いておくことは大事なことである。多くの先進国で政権交代は日常的であるが、国はしっかりと継続している。

解散総選挙をズルズルと一年近く引き伸ばしたというだけで、自民党にイエローカードが出されているハンディキャップつきの選挙にしてしまった、首相の責任は大きい。
2009年8月29日 (土) つい億劫で。日記をごぶさた。健康ですか。
あっという間に一月が過ぎる。

5年ぶりにどこへも遠出しなかった。理由は妻の体調にある。

最近この話題に触れていないのでご心配をおかけしているようである。

7月18日に退院した人口肛門閉鎖術は順調に回復し、いまは手術跡もほぼ快復しガーぜを当てているだけとなった。
不要となったストーマ用具は、ネットオークションで必要とする方に安価で譲渡した。

お腹の快復と入れ替わりに、中断していた抗がん剤を8月11日から再開した。今度の薬は点滴ではなく、錠剤なので通院しないですむ。

飲み始めて2週間が過ぎて、じわじわと副作用に因る体調不良が起きて来たようだ。

この薬は脱毛の副作用はなく、先月の末から伸び始めた妻の頭髪は1cmを越え、頭をさすっては喜んでいる。

とはいえ薬漬けの日々である。腸の薬と併せて、朝は6種8錠。昼も3種。夜は5種7錠。内容は、抗がん剤、整腸剤(薬に因る胃の荒れ防止)、利尿剤(浮腫治療)、吐き気防止薬、炎症抑止。他に発熱などの異常時に飲む、鎮痛解熱剤と抗菌剤が処方されている。


日常生活に支障があるのは右腕のリンパ浮腫である。5年前の乳癌手術の際に一緒に除去した右腋リンパによる影響である。今年の3月頃からひどくなり、入院中は一時両足もむくみが発生し、パンパンに晴れ上がっていた。。いまはスリーブという手袋状のものをつけ、冷却剤で一日中冷やし続けている。右手では細かい作業ができないし、力も入らない。
ボタン掛け、ペットボトルの開栓、腕の冷却剤の交換など自分一人ではできない。

散歩もしないため、足腰も筋肉が落ちてきているのが長期的には心配である。

さてこの影響で私の健康はというと、4月頃ストレスから生じた左側頭部の脱毛も気分転換を心がけ、ストレス解消できたのか、ほぼ見分けがつかないほどに快復したが、めっきり白髪が増えた。
7月の頭に山登りに行った後は、山に行ってなく、脚部の筋力低下が心配で、9月に計画中の谷川岳登山のための調整が大変。
薬は高血圧症と高コレステロール血症の薬を継続中。

皆様もご自愛下さい。

薬に関心があるか、詳しい方は以下も。
TS−1(ティーエスワン)
カイトリル
フロセミド
プリンパール
カロナール
シフロキノン
プロテカジン
デカドロン
2009年8月28日 (金) 三鍋裕主教 と 田光信幸司祭
最近届いた、KEEP日米合同募金委員会ニュースを見ていたら、「三鍋 裕 主教」という文字が写真の横にみつかった。

同じ名前の同級生が高校の寮にいたことを思い出した。聖職に付くことを目指して、神学校に進んだはずである。写真からははっきりとは分からなかったが、まず彼に違いないと思う。
調べてみたら日本聖公会横浜教区の主教を務めている。
教会は聖アンデレ教会で、三ツ沢下町14−57だとか。寮の森田先生の住まいから近いところだった。
寮を中途退寮になっているので、寮のOB会の名簿には三鍋の名前はない。本人が希望すれば、会員になれるので機会をみつけて声をかけてみよう。

同じく寮の同期で聖職についた田光信幸君もOB会の案内が宛先不明で戻ってきたときは戸惑った。東京教区の教区事務所たよりのバックナンバーを辿った結果、聖マーガレット教会に異動になっていた。正しい言い方ではないと思うが立教女学院の教会といったほうが分かりやすいか。

早速教会の牧師館に電話したらすぐに本人が出た。OB会の参加の可否を聞いたが残念ながら用事があり不参加。
2009年8月22日 (土) 立教大学新座は女子大?
寮OB会の理事会のため、立教新座キャンパスに行く。

家からの最短経路は南武線で溝の口から武蔵府中に行き、ここで武蔵野線に乗り換え、新座駅下車。駅前からスクールバスか路線バスで新座キャンパスに行ける。

高校通学時の45年前は、池袋から東上線が唯一の手段だった。

夏休み中なので普通はスクールバスは少ないのだが、教はオープンキャンパスということで10分ごとにバスが出る。
それでも駅前に着いて驚いた。80人以上の長蛇の列である。それも女性ばかり。受験希望者とその母親である。男子は受けないのかと思ってしまう。
結局1台目のバスを満員で見送り、2台目に乗る。ダイヤ外の臨時だったようで予定よりは早かったが、会議には時間ギリギリに間に合った。
2009年8月6日 (木) 太刀川正三郎
昨日、閉寮記念式の準備で廣瀬先輩に会った。そこで太刀川記念館などで立教に縁のある「太刀川さん」なる人物の話になった。

立教新座キャンパスに一昨年完成した太刀川記念交流会館のパンフレットには、次の説明がある。

太刀川記念交流会館は、故太刀川正三郎氏[1940(昭和15)年経済学部卒業]令夫人・太刀川あさ子様からの貴重なご篤志により、池袋キャンパスの太刀川記念館に続いて建設された施設です。

太刀川記念会館は国際交流のための施設である。

この「太刀川」氏に関して余りにも勉強不足だったので、朝から俄勉強してみた。ソニーとの関係を始めて知った。

太刀川正三郎氏は、井深大、盛田昭夫等と共に1946年にソニーの前身・東京通信工業を設立し、経理担当の取締役となっている。
この東通工についてはソニーのホームページにSony Historyで詳しい。第2章には太刀川氏の写っている写真もある。

井深氏と盛田氏の接点は、「第二次世界大戦中、海軍技術中尉時代に技術研究会で井深大と知り合う」とあるが太刀川氏との接点は不明。
井深が早稲田、盛田が阪大、太刀川が立教と大学はみな別々。この3人がなぜか「1945年9月、東京での新会社創設のため、井深 大(いぶか まさる・当時37歳)は樋口 晃(ひぐち あきら)、太刀川正三郎(たちかわ しょうざぶろう)などの仲間とともに疎開先の長野県須坂から上京した。」とある。

太刀川家は函館の名家でその住宅店舗は国指定重要文化財である。東通工設立に当たっては財政的なバックボーンだったと推察できる。

この太刀川氏の子息に、善一、昌平がおり、昌平氏は立教高校寄宿寮の3回生で私の3年先輩。
井深大氏の子息の、亮氏は立教大学理学部物理科S43卒で冒頭の廣瀬さんの同級生で理学部の私の2年先輩になる。
盛田昭夫氏の子息に、豊氏がおり、日本アイ・ビー・エム1970年入社で私と同期であり、同じ部門に配属になった。

微妙な距離のところに3氏の子息がいたことになる。
2009年8月4日 (火) 三大急登
先月、守門岳に登っている途中、登山者の中で「ブナ立尾根」が日本三大急登だという話題になった。そのとき他の2つはどこだということで、私はその少し前に調べた記憶を元に、燕岳への合戦尾根と、鹿島槍と爺ケ岳の間から東に伸びる尾根と答えておいた。このつ時は尾根の名前は思い出せなかった。

日曜の朝のテレビで甲斐駒ケ岳へ黒戸尾根を登る映像が流れ、日本三大急登とのナレーションがあった。

気になったので調べ直してみた。
もっとも「三大....」というのは諸説あるのが多いのだが、「日本三大急登」はどうやら次の3つが定説のようだ。

飛騨山脈・烏帽子岳へのブナ立尾根
赤石山脈・甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根
上越・谷川岳への西黒尾根

では合戦尾根や鹿島槍の赤岩尾根はなんだったのかというと、それらはブナ立尾根とあわせて、「北アルプス三大急登」というらしい。ただこれは諸説あり、赤岩尾根の代わりに笠ケ岳への笠新道とするものもある。

この内、私が経験しているのは、西黒尾根の登りと笠新道の下りだけである。
2009年8月1日 (土) 8月、土曜日で始まる月は

土曜日で始まる月は6週目がある。普通のカレンダーは5行で表示されているので、6週目は23/30とか24/31と表示される。あまり出番のないコマの登場である。

27日に加世田から戻っていまいち体調が悪かった。
畑の自然の中で汗を滴らせていた生活から、室内でエアコンを付けっぱなしの生活に体が対応できていないようだ。わが家のマンションは今大規模修繕修理の真っ最中。ベランダの窓も塗装工事のためにビニールが張られ、開ける事ができない。こんな所を離れて高原に避暑にいきたいが、妻の体調がそれを許さない。

じっと辛抱の夏である。